目次
はじめに
この記事の目的
本記事は、妊娠高血圧腎症(PE)を中心に、診断基準や分類、病態、最新の診断マーカー、治療やガイドライン比較までを分かりやすく解説することを目的としています。妊婦さんや産科医・助産師など医療従事者が、日常診療や学習で役立てられる内容を目指します。
想定読者
- 妊婦さんとそのご家族
- 産科・総合診療に携わる医療従事者
- 医学生や研修医
専門用語は可能な限り避け、必要な場合は具体例や簡単な説明を付けます。
使い方
各章は独立して読みやすく構成しました。まず第2章で定義と分類を確認し、第3章以降で診断や対応を順に学べます。急ぎの場合は診断基準や治療の章だけ読むこともできます。
注意事項
本記事は一般的な解説です。個別の症状や治療は医師と相談してください。
妊娠高血圧症候群の定義と分類
定義
妊娠高血圧症候群(HDP)は、妊娠中に初めて高血圧が認められる状態を指します。一般的な基準は収縮期血圧(上の血圧)140 mmHg以上、または拡張期血圧(下の血圧)90 mmHg以上です。多くの場合は妊娠20週以降に発症します。
分類のポイント
妊娠高血圧症候群は臨床所見により主に三つに分けられます。
妊娠高血圧(GH)
高血圧があるが、尿に目立った蛋白(タンパク)が出ていない状態です。たとえば健診で140/90 mmHgを示し、尿検査で蛋白が陰性または微量の場合が該当します。
妊娠高血圧腎症(PE)
高血圧に加えて尿蛋白が出る場合を指します。診断の目安は24時間蓄尿で0.3 g以上の蛋白尿です。簡易検査では尿蛋白が陽性の場合、詳しい検査で確かめます。
加重型妊娠高血圧腎症(重症合併型)
妊娠前から高血圧や腎疾患がある女性が、妊娠後に症状や検査値が悪化した場合に用います。基礎疾患があることで合併症のリスクが高まります。
診断には妊婦健診での定期的な血圧測定と尿検査が重要です。
妊娠高血圧腎症の診断基準
診断の基本
妊娠20週以降に新たに高血圧(収縮期血圧140mmHg以上、または拡張期90mmHg以上)が出現し、蛋白尿が検出される場合に妊娠高血圧腎症(従来の前置詞:妊娠高血圧症/preeclampsiaに相当)と診断します。蛋白尿の目安は1日あたり0.3g以上、または尿試験紙で1+以上です。
蛋白尿の評価方法
- 尿試験紙(dipstick)は簡便ですが偽陽性・偽陰性があります。\n- 24時間尿蛋白量が標準的ですが手間がかかります。\n- スポット尿の蛋白/クレアチニン比(PCR)で0.3以上は1日0.3g相当の目安です。例:外来ではPCR採血1回で評価することが多いです。
蛋白尿がなくても診断される場合
蛋白尿が明らかでなくても、以下の臓器障害があれば妊娠高血圧腎症に含めます。
- 肝機能障害(AST/ALTの上昇)
- 腎障害(血清クレアチニンの上昇や尿量低下)
- 血小板減少(10万/µL未満など)
- 神経症状(持続する頭痛、視力障害、けいれん)
- 胎児発育不全や羊水量の異常
これらは血液検査や臨床症状、胎児超音波で評価します。
重症度の判定と実務的注意点
重症は収縮期160mmHg以上または拡張期110mmHg以上、あるいは蛋白尿2.0g/日以上、または上記の危険な症状がある場合です。診断時は妊娠週数や既往(妊娠前からの高血圧)を確認し、慢性高血圧との鑑別を行います。必要に応じて入院や頻回の検査で母体・胎児の状態を観察します。
最新の診断マーカー(sFlt-1/PlGF比)
概要
sFlt-1/PlGF比は血液検査で用いる補助的な指標です。sFlt-1は血管の新生を妨げる物質、PlGFは血管をつくるのを助ける物質と考えてください。比が高いほど妊娠高血圧腎症(PE)のリスクが上がる傾向があります。
臨床での使い方
代表的なカットオフは38です。妊娠18〜35週で測ると判別力が高いと報告されています。比が38以上なら発症のリスクが高いと評価し、外来での観察頻度を上げたり高次医療機関へ連携したりします。具体例:外来で血圧に異常はないが比が高ければ、数日〜週単位での再検や胎児状態の観察を行います。
利点と限界
利点は早期のリスク評価に役立つ点です。限界としては全例で確定診断になるわけではなく、偽陽性・偽陰性もあります。また妊娠後期や他の病態で結果が影響を受けることがあります。
実務上のポイント
・高値なら血圧・蛋白尿の厳重管理と頻回フォローを行います。・搬送基準や連携先をあらかじめ決めておくと安心です。・検査結果は臨床所見と合わせて総合判断してください。
妊娠高血圧腎症の病態と背景
胎盤形成の異常
妊娠高血圧腎症は主に胎盤の作り方に問題が起点です。胎盤栄養膜(トロホブラスト)が子宮の深い部分へ十分に浸潤せず、らせん動脈が十分に拡張しません。その結果、胎盤血流が不足し、局所的な低酸素・虚血を招きます(妊娠後半に顕在化することが多い)。
血管内皮障害と酸化ストレス
胎盤の低灌流は酸化ストレスを高め、炎症や血管内皮の傷害を引き起こします。血管内皮が傷つくと血管の透過性が上がり、血圧上昇や蛋白尿が起きやすくなります。例えば、血管が漏れやすくなって腎臓からタンパク質が尿に出ます。
抗血管新生因子の増加
虚血した胎盤はsFlt-1などの抗血管新生因子を多く出します。これらはVEGFやPlGFと結びつき、その働きを弱めます。結果として全身の血管新生や血管機能が低下し、母体の血圧上昇や腎障害につながります。
母体側の背景因子
糖尿病や肥満、慢性高血圧、初妊娠、多胎、免疫の変化などがリスクを高めます。これらは胎盤形成や血管反応性に影響して、病態を助長します。
腎臓での変化と臨床への結びつき
腎臓では糸球体内皮のむくみ(糸球体内皮症)や血流低下が起こり、濾過障害と蛋白尿を生じます。臨床では高血圧、蛋白尿、浮腫などが現れ、重症化すると母子ともに危険になります。
加重型妊娠高血圧腎症・慢性高血圧合併妊娠
定義
妊娠前から高血圧や慢性の腎疾患がある人が、妊娠中に血圧や腎機能の悪化、蛋白尿の増加などを示す場合を指します。既存の病気に妊娠高血圧腎症が重なる状態です。
リスクと合併症
母体では脳卒中、けいれん(子癇)、腎不全、胎盤早期剝離のリスクが高まります。胎児では胎児発育制限や早産の可能性が上がります。具体例として、これまでコントロールしていた血圧が急に上がり入院が必要になることがあります。
診断のポイント
- 家庭や外来での血圧増加の確認
- 尿蛋白の増加や腎機能(血清クレアチニン)の悪化
- 血小板低下や肝機能異常などの臓器障害の出現
以上を総合して判断します。胎児の状態は超音波で評価します。
管理と対応
重症化の兆候があれば入院して厳重に管理します。降圧薬の使用や点滴、場合によっては早期分娩を検討します。けいれん予防にマグネシウムを用いることがあります。腎臓専門医や周産期医と連携して治療方針を決めます。
妊婦さん・家族への注意点
自宅での血圧測定と記録を続けてください。突然の強い頭痛、視野の異常、息苦しさ、手足のむくみや尿量の低下があればすぐ連絡してください。妊娠前からの治療継続や薬の調整は医師と相談しましょう。
診断後の対応と治療
概要
妊娠高血圧腎症と診断されたら、重症度に応じて管理方針を決めます。母体と胎児の安全を最優先にし、専門医(産科・婦人科、場合によっては内科や新生児科)で厳密にフォローします。
重症度に応じた管理
軽症例は外来で経過観察し、血圧測定、尿たんぱくや血液検査、胎児心拍の確認を頻回に行います。重症例は入院して24時間の監視を行います。自宅での血圧記録は治療判断に役立ちます。
入院治療とモニタリング
入院では血圧、尿量、体重、血液(肝機能、腎機能、血小板)を定期的にチェックします。胎児は心拍や超音波で成長や羊水量を評価します。必要に応じて非ストレステスト(NST)やバイオフィジカルプロファイルを行います。
薬物療法
重度の高血圧には速やかに降圧薬を使用します。妊娠で比較的安全とされる薬剤はラベタロール、ニフェジピン(徐放)やメチルドーパです。極端に高い血圧は脳卒中などの危険があるため即時に下げます。重症例では痙攣予防としてマグネシウム硫酸を用いることがあります。低用量アスピリンは予防で使われることが多いですが、診断後もリスクに応じて継続する場合があります。
分娩の判断と胎児管理
妊娠週数と母胎・胎児の状態で分娩の時期を決めます。重症で母体や胎児に危険がある場合は早めの分娩を検討します。早産を避けるために胎肺成熟を促すステロイドを投与することがあります。分娩は母体と新生児チームで調整します。
産後フォロー
産後も血圧や腎機能を数日〜数週間観察します。多くは回復しますが、一部は持続的な高血圧や将来の心血管リスクが高くなるため、長期的な管理と生活指導が重要です。授乳中に使える薬や外来での受診頻度は専門医と相談してください。
海外ガイドラインとの比較
共通点
多くの国は「妊娠20週以降に初めて認めた高血圧=妊娠高血圧」と定義します。臨床での最初の判断基準は血圧140/90mmHg以上で共通です。重症高血圧(例:160/110mmHg以上)や母体・胎児の合併症の評価は各国共に重視します。
相違点(具体例)
- 蛋白尿の評価:ある国は24時間尿蛋白や尿蛋白/クレアチニン比(≥0.3)を推奨しますが、別の国は迅速なスティック検査を臨床的に許容します。具体的には、検査施設が限られる場面ではスティック検査を使うことがあります。
- 生化学マーカーの扱い:一部のガイドラインはsFlt-1/PlGF比などを補助診断に推奨しますが、全ての施設で必須とするわけではありません。実用性やコストの違いが背景にあります。
- 産科的対応のタイミング:分娩の判断基準や入院・降圧薬開始のタイミングに細かな差があります。例えば、妊娠週数や胎児状態を重視する基準の違いが臨床判断に影響します。
臨床への影響・実践上の注意点
ガイドライン間の違いはありますが、基本は母体と胎児の安全確保です。検査や治療の選択は施設環境や検査の入手可能性を踏まえ、明確に説明して合意を得ることが大切です。ご自身の医療機関の方針を確認し、疑問があれば担当医にご相談ください。